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Vol.4 | ||||
1999年11月27日、黄熱病の予防注射をうつ。マラリアとコレラは予防注射の必要はないとのこと。
1999年12月4日 朝8時40分 アマゾンへ向け家を出発。 成田空港で、新潟のOさん(胃がん、手術後2年10ヶ月)と合流。Oさんは8ヶ月英会話を習っているので一安心。 12月 4日 夕刻18時55分 成田発→アメリカポートランド。いざ成田を出発、機内はほぼ満席だ。約8時間の旅、廻りを見ると外人が多いが日本人もたくさんいる。 エコノミーの座席は狭く1時間位しか同じ態勢でいられない、身体の大きな外人はとくにきつそうだ。ウトウトしながら時計を見るが時間が全然進まない。やっとポートランドについた時は頭がボーっとして食欲もない。 入国の審査カードに記入しなければならないが意味がわからない。Oさんに聞くが本人もわからないそうで、廻りの日本人に聞いてなんとか半分は書き、審査を受けるが、英語で何か言われた。 まだ最初の入国なのに、なぜかもうくたくた。(長時間座ったままの姿勢と時差、言葉など) 乗り換えの待ち時間は約2時間。日本時間では真夜中だが、こちらは昼前くらいで、眠いが寝れない。もう時差 ぼけみたい。時計の針を戻す。
アメリカポートランド 12月4日 12:55PM発→アメリカアトランタへ
機内はほとんど外人ばかりで、ほぼ満席。 アトランタ着、今度は時計の針を3時間進める。 4時間30分ほど乗って、時計では8時間乗ったことになる。 時差ぼけのうえに、時計を戻したり進めたりで、頭がへんになりそう。乗り換えの待ち時間の間、2人で空港内を歩い て見る。 いろいろな店がある。ハンバーガーの店、ホットドッグの店、革製品の店、Tシャツを売っている店、 特に食べ物の大きさは日本の2倍以上ある。 サンドイッチの店で写真を指差して注文する。コーラも日本のLサイズ がアメリカのSサイズのようだ。1人前を2人で分けて食べたがお腹いっぱいになった。 どこを歩いても、もう日本人の姿はない。本当に外国に来たんだなあ……と思った。今まで海外旅行には5回行っているが、必ず日本人がいた。 しかし今回はどこをみてもいない。 ツアーとは精神的に全然ちがう。リマ行きの待合所ではラテン系の人達が、多くのみやげ物を持って並んでいた。 いよいよペルーリマへ出発、あと 何時間乗るのかなあ………。飛行機に乗りこむ。ほぼ満席状態だったが、ありがたい事に私の隣2席は人がいない ようだ。 シートベルト着用のランプが消えたので、少しでも寝ようと思い、肘掛を起こして横になる。 うとうと、何とか1時間は寝たようだ。煙草が吸えないので禁煙パイポを吸う。 外は真っ暗。同じ事の繰り返し。機内放送があり、まもなくの着陸を知らせる。 時計を見る。12月5日 5:00AM、飛行時間は6時間40分。 「リマに無事到着。」 荷物を取って出口に向かうと、そこはBさんから聞いていた通り客引きの人達がいっぱい。 鉄柵から外へ出ないように言われていたので、中からAさんを探すが暗くて良く見えない。 歩きながら探していると、客引きがいっぱい 寄ってくる。NO,NO,……。その時、Oさんが「平山様」と書いたボードを見つけ、ようやくAさんの笑顔を見たとたんにほっとした。 本当に長い道のりだった……。
町並みを見ていてふと気がついた。どの家も、鉄格子かコンクリートの塀で囲まれている。 Aさんに聞いてみると、人が侵入出来ないようにするのが当たり前の国なのだそうだ。 20分位でホテルに着く。ホテルといっても日本にあるようなものではないが、外観はまあまあ綺麗だ。 30ドルと聞いていたので中は汚いだろうと思っていたが案外綺麗、エアコンは無いが、扇風機、シャワー、テレビ、ベッド、 一応のものはある。 無いものは、冷蔵庫とポットぐらいか。まあいいや。お腹が空いていたのでAさんと2人で日本のカップラーメンを食べる。 Aさんがラーメンを食べるのは久しぶりだそうだ、うまい。2時間〜3時間これからの打ち合わせをし、その後少し寝た。 部屋の電話が鳴る。Aさんからで、「妻が食事に招待したい」と言っているので午後7時30分に迎えにくるという用件だ。Oさんを探すがいない。何処へ行ったんだろう……。 30分位して帰ってきた、ホテルの人と両替に行っていたらしい。 ここは日本と違うので、あまりうろうろしない方が良いと言ったが、 Oさんは学生時代にインドで(5ヶ月間を2回)バックパッカーをしていたらしく、外国でもあまり気にして いないようだ。 |