ナスカの恵

世界遺産
1911年、アメリカ人青年ハイラム・ビンガム氏によって発見される。2400mの山上に造られたインカ石造建造物郡。

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1911年 一人のアメリカ人青年がウルバンバの谷の険しい絶壁をよじ登っていった。その青年の名はハイラム・ビンガム。

彼はインカの謎の都「ビルカバンバ」を探し求めている時、インディオからある山の山頂付近に遺跡らしいものがあると聞かされていたのでした。そして、一つの山を目指してよじ登って辿り着いたとき、目の前には忽然と石造建造物郡が飛びこんできたのでした。

この発見の後、大がかりな発掘調査が行われ、数百年の眠りから覚めたマチュピチュは一躍、世界中に知れ渡り、「謎の空中都市」や「失われた空中都市」という名前で呼ばれるようになりました。

名前の由来はケチュア語で”老いた峰”を意味し「マチュピチュ」と呼ばれています。

この遺跡の最盛期は5000人から10000人が居住していたと言われ、見所は太陽の神殿、月の神殿、コンドルの神殿、主神殿、三つの窓の神殿、王女の宮殿、太陽の門、儀式の石、陵墓、墓地、インティワナと言われる日時計、水汲み場、アンデネス(段段畑)などがあります。
(その中のある石組みは紀元前のものではないかといわれるほど古いものも見つかっています)

そして遺跡発掘の際、女性や老人の人骨176体が見つかりました。若い男達は皇帝と運命を共にし、この都市を立ち去ったのではないかと考えられています。今も謎が多く詳しく解っていません。



俳優の渡辺 謙さんと同じ心境で遺跡を眺める・・・・。

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クスコから約25分間の飛行で到着 下を見ると断崖絶壁

見張り小屋か? 日本人は私とOさんの2人だけでした

マチュピチュに住んでいるリャマ 壮大な全景

マチュピチュ麓のお土産雑貨店街 ヘリコプター駐機場

超有名、サヨナラ・グッバイボーイ